ピン!とくる、それが神の意識
昨日の記事からの続きになります。
「”この『接触』というのは、個人としての人生を完全に放棄し、
他者の苦しみを癒すことに一生をささげる状態にまで人が進化したときに、
はじめて起こる・・・”
・・・だなんて、この本に書かれているような人、この世にいないですよ!」
と、ノンモさん。
まぁ・・・、「イニシエーション」の本では神妙に書かれているので、
そういった印象になってしまうのかもしれませんが、
実際は、私のように、人生でやりたかったことはだいたいやり尽して、
起きて出社してお給料もらって買い物して食べて寝るの、
繰り返しの3次元の仕組みに心底嫌気がさして、
神様、これからの私の人生を差し上げます。
よかったら、私の身体を器としてお使いください、
ほんま、なんでもやらせてもらいます~!と、
真剣に、天に自分を売り込むだけでいいんだと思いますよ。
実際、そこで強く望んだことが、
現在のノンモさん&ポコプンとのプロジェクトに繋がっていると思いますし。
「神にすべてをささげるということは、
神以外にはなにもいらないという状態ですよね?
物欲もなく、人間の持つ食欲、性欲、睡眠欲の3大欲もないわけですよね?
そんな人、この世にいると思いますか?」
さぁ・・・、でも、この世にいたとしましょう。
けれど、そんな人、神の役になんか立たないと思いますよ。
すべて神の言いなりじゃなくて、人としての経験から、
神と対等に意見(ディベート)できて、
人間としての課題に謙虚に努力して向き合いながら、人生も謳歌している、
そんな人材でないと、神式会社は必要としないと思います。
だから神式会社の社員として、
おいしいものを食べて呑んで、寝たいだけ寝る、
あの至福の煩悩は手放さないですよ。
だったら光の地球に行けないよって言われても、
そんなつまらないところに行けなくて結構ですし。
「ですよね!自分も煩悩を手放す気なんてありませんから♪
(*゚∀゚)=3」
と、ノンモさん。
実は、先日抜粋した『エリザベス・ハイチ著「イニシエーション」』の、
254ページの最後は、
『この世の快楽を捨て去りなさい』
で、締めくくられているのですが、
私的には、神の言葉ではなさそうだな~と感じて、
あえて抜いた言葉だったんですよ。
もしかしたら、数年後に「快楽は捨てたほうがいいですよ!」
とか、言い出しているかもしれませんけどね(笑)
でも、ほんと振り返れば、
私もノンモさんも、ず~っと、何かにつけて天にテストされてますよね。
特に2014年末の神式会社の上層部が、
総がかりでついてくれた大嘘はひどかったですよね~!
(→記事『天は平気で嘘をつきます』をご参照ください)
魂の成長という名のテストのためなら、
天は手段を選びませんからね!
例えば、ポコプンが青色を取りなさいと言いながら、
私が自分の心の声に従って、ちゃんと赤色を取ることができるかどうか、
という、やっかいなテストもしてくれますよね。
神が青と言ったからと、言われるがままに青ばかり取るのもダメだったり・・・。
でも、場合によっては、青をきちんと選ばなければならなかったり・・・。
これに慣れるまで、天に振り回されてほんと大変で、
気が狂うかと思いましたよ~。
で、結局、神を含むすべてを無視して、
基本的に何事も自分の心がピン!
とくるかどうかで選んでいるんですけど・・・。
だから、お願いなどしないポコプンから、
婚活して!とか、子供を産んでくださいとか言われても、
ピン!とこないので、やらないんですよ。
だってもう、アラフィフなんですよ・・・。3次元的に無理がありすぎますって。
でも、もしもピン!とくる時がきたら、行動に移すのかもしれませんが。
でもこの発言は、信心深い人にすれば、
天の望みに背くなんて!信じられない!
って引かれるんでしょうね(笑)
まぁ昔からそうですが、私は何事にもピン!とこなければ無理ですね~。
それが世間では正しいとされることでも、大多数が賛同していたとしても・・・。
それに経験上、ピン!ときたものに従うと、
良い結果が出たりするんですよね。
「ほんとに、天は定期的にいろんなテストをしますよね~。
ある時は、天の仕事を辞めたくなるほど、精神的に追い詰めたり、
光と闇を行ったり来たりさせて、エゴを狂わせてみたり、
天から繋がりを断ち切られて、孤独感にあえいだり・・・、
だから、そういう時にこそ、自分がピン!とくる本能に従って…え?」
どうしたんですか?ノンモさん?
「あ、いえ、これ自分が思いついたことだったんですけど、
ポコプンが、
「それだよ!それ!」
って大声で言ってます(笑)
どうやら、『ピン!とくる本能=神の意識』
のようですね」
ははは・・・(笑)
天には、このピン!とくる力を、
常に試され、鍛えさせられていると感じます。
集団のメンバーは、ゆるぎなく自立し、感化されることのない人にかぎられる。ただ服従していれば楽だから、見返りがほしいから、「天国」に行きたいから、あるいは天罰や地獄が怖いからといった理由で、良いことをし、悪いことをしないようであってはならない。この集団のメンバーは生死にかかわるような窮地でも、自分のもっとも深い確信にもとづいて行動しなければならない。なぜなら、彼らは心の奥で、自分自身のもっとも深い確信として集団のメッセージを聞くからだ。
エリザベス・ハイチ著「イニシエーション」より
この心の奥の声が、内なる神の声であり、
ピン!とくる本能のことなんだと思います。
腱鞘炎にならなければ、このタイミングで、
「イニシエーション」を読んでいなかったでしょう。
読み終えた瞬間に、ブワーッと大きな青い光が現れたので、
え~?ポコプン?私が読み終えたことが、そんなに嬉しいの~?
と笑ってたら、
夏の間全くなかったセッションの予約が入ってきて、
急に忙しくなっています(汗)
いつもそうなんですけど、
忙しい時と暇な時の差が激しすぎるんですよ!
もっとまんべんなくスケジュールを埋めてもらえませんかね?
「でも、それが八多さんの魂の望みだからね」
と、ポコプン。
悟りのしっぽをつかんだ時に感じた、
"求めよ、さらば与えられん。
探せよ、さらば見つからん。
叩けよ、さらば開かれん。"
(出典「新約聖書」-マタイによる福音書(マタイ伝)26章64節)
この心から神を求めることを、しばらく忘れていたことに気づきました。
(→記事『悟りのしっぽ』をご参照ください)
エリザベス・ハイチ著「イニシエーション」にも、
この聖書の一節とともに、同じことが書かれていましたが、
私が神を強く求めたので、神が応えてくれたのです。
心から求めれば、いつも目の前に神の手が差し出されていたことに気づきます。
この聖書の一節は、自由意志の法則でもあると思います。
求めれば、神はいくらでも手を差し伸べてくれますが、
求めなければ、神は何もできず、ただ見守るしかないのです。
そして、進む道が見えてきました。
私はやっぱり、差し出された神の手を取って進んでいきたいのです。
ようやく次のステージに向かえる予感がしますが、
おかげで、右腕が使い物にならなくなってしまいましたね~(涙)
まぁ、四十肩だと思って、上手く付き合っていくしかありませんね。
(´_` )トホホ
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