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癒守の地球

~いますべてが生まれ変わるとき。シリウス意識の光の地球へ~

日本の赤い太陽

「日の丸は赤い月なんだよ♪」
と、ポコプン。

(゚Д゚)

(゚Д゚)


(゚Д゚lll)

こ、こわー!!!!
マジですかー!!!!
こわすぎ~!!!!

ヒィィィ (((((゚Д゚lll))))))

というわけで、久々に全身鳥肌、
脳がフリーズしたこの、
「2015年9月28日の赤い月」=「日の丸」
ポコプン情報ですが、

赤い月については去年から、
事あるごとにポコプンに話していたというのに、
まさか、「日の丸」が「赤い月」だったなんて・・・。

「日の丸」=「太陽」だと、思い込んでいたので、
全く「赤い月」に思考がたどり着けませんでした。
思い込み&すり込みって、ホント恐ろしい・・・。

ちょうど、京都の「五山送り火」の大文字が、
古代エジプトのシリウス星(ソプデト)
だと話をしている時に、

他国では黄色や金色やオレンジなのに、
世界中でも太陽を赤く塗る日本は、
珍しいと言われているんですけど、
でも、古代エジプトでも、
太陽は赤く塗られていたんですよ!
と、言うと、

古代エジプト太陽


「たぶん日本人が太陽を赤く塗る風習は、
古代エジプト文明の影響を受けた古代イスラエル人が、
日本に持ち込んだのでしょうね」
と、ノンモさん。

実際には、京都の「五山送り火」と同じで、
日本で白地赤丸を日章旗として用いるようになった経緯は、
いまだに不明なんだそうです。

でも、古代から日本は、
日出づる国と呼ばれていましたし、
天照大御神は太陽神として崇められていましたし・・・。

「日本の太陽信仰と、
古代エジプトの太陽信仰は、
別ものだから、一緒にしないでね」

と、ポコプン。

古代イスラエル人が、『赤い月』の印として赤丸を描いたものを、
誰かが古代エジプトの赤い太陽と勘違いして、
「赤丸=太陽」のシンボルにしてしまった可能性があるそうです。

そして、日章旗は近代になってできたので、
古代イスラエル人が日章旗を作ったわけではありませんが、
彼らの意を継ぐ者が、日章旗を作ったのかもしれないとの事。

「でも、太陽もあるよ。
太陽はねー、旭日旗」

と、ポコプン。

日旭旗

ポコプン…、
そんな重要な情報を、サラッと・・・・。

日旭旗って、軍旗の印象が強いですが、
調べてみると古代から日本に存在していたようですね。

「旭日」の意匠自体は比較的古くから広く親しまれており、一部は「日足(ひあし)」と呼称され武家の家紋として用されていた(「日足紋」)。特に九州地方の武家に好んで使用され、例として、肥前の龍造寺氏や筑後の草野氏の「十二日足紋」、肥後の菊池氏の「八つ日足紋」等がある。九州地方に多いのは肥前・肥後が「日(ヒ)の国」と呼称されていたことと関係があるという説がある。
(Wikipedia『日旭旗』より)


12hiasi.jpg

ふ~ん。「日足」は、古来から九州地方で親しまれたんですねぇ。
なんだか「癒守の地球物語」の宮崎県の卑弥呼の国と、
関係していそうな・・・。

( ̄- ̄)フーン

そして、この「日足」は、
古代エジプトの太陽神のひとつ、一神教アテン神から伸びる腕に似ています。

古代エジプト太陽2

アテン神は、動物的、人間的形態である他のエジプトの神々とは異なり、先端が手の形状を取る太陽光線を何本も放ち、光線の一つに生命の象徴アンクを握った太陽円盤の形で表現された。またアテン神は平和と恵みの神とされた。
(→Wikipedia『アテン』より)


それから、日旭旗は16本光線なんですね~。
きっと16菊花紋に関係しているのでしょうが、
日旭旗も調べ出したら、
古代エジプトや古代イスラエルとの繋がりが出てくる出てくる・・・。
頭がこんがらがりそうです。

明らかに現在ペンディング中の、
「癒守の地球物語」の調べ物をさせられているのだと思います。
ということは、ついに物語は、古代エジプトや古代イスラエル世界へ向かうのでしょうか?
でもポコプン、その前に日本史を終わらせたいですし、
聖徳太子や大国主やヤマトタケルノミコトが気になってるんですけど~!

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Posted by 八多 恵子(ハタ エコ) on  | 8 comments  0 trackback
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