母と許し その2
前日の記事の続きです。
小学校卒業間近のある日、
私が持っていた近所の女の子の宿題を母が見つけました。
私は近所のいじめっ子の宿題をさせられていたのでした。
母は激怒し、その女の子の家に乗り込んで行きました。
帰って来た母にまた散々「お説教」をされた私は、
泣き疲れながらその夜ひとりで湯船に浸かっていて、
『母は本当に頼りにならない』
『卒業まであともう少しだったのに、今まで我慢してきたことが水の泡になった』
『明日から始まる地獄の日々をどうしてくれるんだ』
『そもそも、なんで私は、
頼りにならない母の言いなりになっているんだ?』
と、思ったのです。
忘れもしない、私に「自我」が芽生えた夜でした。
この夜のことは今でも鮮明に覚えています。
この夜から私は長い長い反抗期に入りました。
ここから母とは一切言葉を交わさなくなります。
そして、はじめて母が憎いと思いました。
金属バットで親を殴り殺す子供の気持ちが理解でき、
父が離婚をしてくれないかと思うようになりました。
小学校を卒業したら予想通り、いじめっ子とは縁が切れ、
新しい友人に恵まれ、はじめて学校が楽しいと思えるようになりました。
高校に入って、私の心情を歌う尾崎豊に倒錯し(笑)、洋楽にはまり、
「学費出せないならお水してでも行くんで」と親を脅して、
行きたかった美術短大に入学させてもらって、
卒業後は夢だったイラストレーターの職に就くことができました。
*****
そして、20歳を目前にしたある時、
私はずっと話していなかった母と話し合おうと思いました。
成人してからも、このまま反抗期を続けるはまずいんじゃない?
と思ったからでした。
それで、母とふたりきりで話し合う時間と場を初めて作りました。
これを最初で最後の話し合いにしようと思って、後悔のないように、
子供の時に母から受けた言葉や暴力にどれだけ傷ついたか、
実母から家を出るようにと言われることが、
幼い子供にとって、どれほどの恐怖であるのかなど、
十数年間心の内に留めていた母への思いを全て話したように思います。
それに対して母は頑なに、過去の事はどうしようもないと言い張り、
私が母から一番聞きたかった言葉、
「ごめんなさい」
を決して言う事はありませんでした。
それで私は、
『この人はごめんなさいと言えない人なんだ』
と、思って、謝る事のできない母を受け入れることにしました。
謝ることができない人に、謝ってもらうのは無理だって思ったのです。
母も私と同じように完ぺきではないひとりの人間で、
子供にひどい仕打ちをしても、それが悪であると認知できず、
親としてのプライドにしがみついて、子供が心から欲している、
「ごめんなさい」または「悪かった」の一言が言えない、
それが私の母である事実を、そのまま受け入れることにしました。
翌日から、私は何年間も母と交わさなかった、
「おはよう」
を、言うようになり、
何事もなかったかのように、会話をするようになります。
*****
ゆるしとは
「相手を無罪放免にする手段」ではなく、
「自分を自由にする手段」です。
ダライ・ラマ14世
このダライラマの言葉の通り、私は母のしがらみから解放されました。
そして私は一生、母から受けたいじめを忘れてはならないと思います。
いつか私に子供ができたら、もしくは子供と接する時がきたら、
母と同じ過ちを決して繰り返してはならないと思うからです。
母と普通の問題のない親子のように接するようになり、
母を丸ごと受け入れたと思ったものの、
私はしょせん血気盛んな20代でしたから、
長年の母やいじめっ子への恨みや怒りは、
簡単に受け入れることができずに苦しみました。
この当時は自分の怒りや人間関係が上手くいかない原因は、
母といじめっ子のせいだと思っていて、
まさか自分の内にあるとは思っていませんでしたので、
ブログで何度も触れているように、
私の中で積み重なった母への怒りは、
同じく母への恨みと怒りを強く持つアメリカ人の元夫との、
結婚生活へ持ち込まれ、そして浄化されるのです・・・。
*****
今から10年ほど前だったと思います。
実家に帰省した私と、遊びに来ていた妹たちと、
母とでお茶を飲んでいたら、
母が、
「若かった頃は気持ちに余裕がなくて、
あんたらにとても辛く当たったと思うねん。
ほんまに悪かったと思うねん・・・」
と、言い出すではありませんか。
私も妹も、そんな話はしていなかったので、
突然の「自己反省」をはじめる母に驚き、戸惑いを隠せませんでした。
ここから母は、性格が一転し、
とても丸く穏やかで涙もろくなったように思います。
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母にいじめられていても、虐待されていても、
子供は心の底で母親を愛し続けると言いますが、
私は母を愛していると思った事がないように思います。
私にとって母は家族というよりも、戦友って感じなんですよね。
これをもしも母が読んだら悲しむだろうなと思いますが・・・。
けれど帰省を重ねるたびに感じるのことですが、
父には無意識ながらも良い娘を演じようとしているようで、
長い間一緒にいると気疲れするのに、
全てをさらけ出しきった母には、
飾らない自分でいられるので楽なんです。
そして母とふたりきりが、なぜか落ち着くのです。
来月、去年の12社巡りから急に神社と古事記に目覚めた母と、
(→記事『11月神社参拝リポート(石上神宮)』をご参照下さい)
厳島神社と、出雲大社へ旅行に行きます。
人生初の母娘ふたり旅です。
私を気遣う、誤字だらけのメールを送ってきたり、
帰省のたびに、何気ない素振りで、
私の肩や手や髪に触れてくる母に、
老いた母の思いを感じます。
もしかしたら長い間、娘に拒絶されていて、
したくてもできなかった事を、
母はようやくできるようになったのかもしれません。
私と母の愛はこんなかたちです。
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