私の神式会社への入社方法~ノンモさんの名刺~
『私の神式会社への入社方法~イントロダクション~』からの続きになります。
「私の『何かや誰かのせいにしてたけど、 自分の心理的な問題だったのかも?』その3」
からの続きとしてもお読みください。
「今まで会ったどの心理カウンセラーとも違う、
素晴らしいカウンセラーだった。
あんなに聡明な人にはなかなか会えないな。
おまえにはアンガーマネージメントの問題があるから、
おまえも彼に会うべきだ」
と、カウンセリングを受けて家に帰ってきた元夫が、
私に差し出したそのカウンセラーの名刺には、
ノンモさんの名前が書かれていました。
で、私は元夫の言い方にムカついて、
その名刺をポイッと書類ケースの中に放り投げ、
そのまま数か月が過ぎました。
ある日、会社のお局とひと悶着していたことや、
なにをやっても夫婦関係が良くならないことに疲れ果て、
部屋の掃除をしていたところ、持ち上げた書類の束から、
忘れていたノンモさんの名刺が、
ババーン!



表現方法が乏しくて申し訳ないのですが、
まさに、ババーン!



顔があったならドヤ顔だったであろう名刺の登場だったので、
こんな風に出てくるってことは、きっと何か意味があるんだろうなと思って、
とりあえずその名刺を財布に入れました。
そして、また数週間経ちました。
はい。今も相変わらずなのですが、
八多は恐ろしいほど腰が重いのです(笑)
私は元夫の仕事関係で、他州に数年間暮らしていたことがあります。
その時にコンドミニアムを購入したのですが、
数年後、また元夫の仕事関係でニューヨークに戻ることになった時に、
不動産の大暴落が起きて、コンドミニアムの買い手が見つからず、
毎月そのローン返済と、ニューヨークの高額な家賃を支払っていました。
それに加えて、カードローンの返済もあり、
来月の家賃をどうやって支払おうかと悩むほどの借金地獄でした。
小学校の教室に掲げられていた、
「努力」
「忍耐」
「根性」
この3つの言葉が大嫌いで、
自分は絶対にこの3つの言葉に関わらない人生を送ろうと、
思っていました。
というのもあって私には、会社をきちんと勤め上げるとか、
こつこつと努力して出世するとか、
ある程度の年齢になったら定職につかないと・・・
といった概念がまったく無く、
稼ぐ方法はなんであれ、生活できたらそれでいいんじゃないの?
というポリシーなので、
会社の人間関係がこじれたり、面倒になると、
退職して、また転職するというのを、
1年~1年半周期で繰り返していました。
でも別に、私には忍耐力がないのでは?とか、
もうアラフォーなんだから、そろそろ定職に就かないとまずいのでは!?
といった、焦燥感も何も感じていませんでした。
ところが、この借金地獄のため、会社が嫌で嫌で仕方なくても、
辞めるわけにはいかなくなりました。
そして、離婚すれば各々の家賃を支払った上での、
ローン地獄となるため、経済的な理由から、
結婚生活も続けるしかありませんでした。
そんなある日、ふと会社で、
『ノンモさんに会ってみようかな』
と、思い立ちました。
だって、夫婦カウンセリングは、
片側だけでなく、両者側から話をするほうが効果的だっていうし、
どうせ元夫は私のこと、ボロクソに話しているだろうから、
妻の言い分もきいてもらっても良いんじゃないかな・・・?
それに、精神的にかなり疲れてる私の悩みも聞いてもらいたいなぁ・・・。
と、思ったからなんですが、
そしたら、今でも忘れられないのですが、
私のおなかの中で、それまで細々とゴザやワラジを編んでいた、
江戸時代の農村の困窮した男たちが一斉に、
ハッ!と驚いた顔で私を見上げたかと思うと、
作業を投げ出して、輪になって踊り出したんですよね。
(という、イメージが浮かび上がったんです。笑)
Σ(-∀-;)
な・・・、なにこれ!?
なんで貧しい江戸時代の農村が私のおなかの中に!?
と、そのイメージにギョッとしたものの、
おなかの中で踊っていた村人(でもなぜか男だけ)が、
呑めや唄えの大宴会まではじめ出したので、
これは、ノンモさんに会ったほうが良いってことなんだろうな・・・。
と、意味不明にも納得し、
名刺を手にしてから約半年後に、
ようやく重い腰を上げ、ノンモさんにメールをしたのでした。
次回に続きます。
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