癒守の地球

~いますべてが生まれ変わるとき。シリウス意識の光の地球へ~

繊維1本の思い

先日の記事『地球語』が明らかなきっかけでした。

「この地球では、
人間はまるで自分たちが主役のように考え、振舞っているけれど、
人間が一番の新参者で、人間が生まれるずっとずっと、
何億年も前から存在していた動植物にすれば、
人間なんて小さな子供のような存在なんだよ」


と、ポコプンから伝えられた、
頭では分かっていたつもりだったこの言葉が、
私の中に静かに染みわたっていたようで、
(というか、ポコプンが意図的に植え付けたと思うのですが)

この後に読んだ、
アニータ・ムアジャーニさんの臨死体験を描いた著書
「喜びから人生を生きる! ―臨死体験が教えてくれたこと」
を、読んで、
昨年のプチ悟り状態を思い出し、

『今この瞬間、誰もがすでに、
光あふれる高次の地球に住んでいる!』


ということに気づいて、久々に号泣したことがそうだったのか、
今となっては引き金になったのが何だったのか、
ハッキリ覚えていないのですが、

ある夜、パジャマを着てベッドに入っていた時、
そのパジャマの繊維1本の思いを感じたのです。

その思いとは、言葉にすれば、
『人間が私をパジャマにしたかったんだよね』
といった感じのもので、

肌触りと通気性が良い布になって、
あなたが穏やかに眠れるようで嬉しいわ♡
と、パジャマの布を形成する、
コットンの糸の1本1本がそう思っているのを感じるのです。

その糸が何万本も紡がれてできた私のパジャマです。
これだけでも感動で、涙腺がまずい状態だというのに、

パジャマのボタンになった貝殻も、
ベッドのシーツの繊維の1本1本も、
羽根布団の膨大な量の水鳥の羽の1本1本の全てが、

『あなたが心地良く眠れて嬉しい』


という思いを持っているんです。

なので、パジャマを着てベッドに入っていた私の涙腺崩壊(笑)

シーツにくるまり、その上の羽毛布団と、
身体を支えてくれているマットレスのこんなに優しい愛に包まれ、
毎夜眠っていたなんて。

コットン畑

大自然の中の広大なコットン畑で、
太陽の光を浴び、新鮮な空気を吸って育ったコットンが、
紡がれて糸となって加工されたバスタオルは、

『水分を拭きとって、さっぱりした気分になれたね』
と、思い、

雄大な山脈を眺めて、鳥や野生動物たちと共に暮らした木は、
伐採され、削られ、トイレットペーパーとなり、

『拭きとって、スッキリした気分になれたね』
と、思っていて、

きっと何千年もかけて育った大きな岩山は削られ、
化学物質を混ぜこまれ加工された、
我が家のバスルームの安っぽい大理石風の人工タイルは、

『だって、人間が大理石風のタイルを作りたいって思ったからね』

と思っているのです。

自然界から誕生したものでない
ナイロンやプラスチックや合成繊維や合皮などからも、

『だって、人間がそうしたいって願ったから』
という思いを持っているのを感じました。

人間が自分を使って、シーツやパジャマ、
トイレットペーパーにしたかった。
使い捨てのコンタクトレンズや、サランラップ、
プラスチックのスプーンや、紙コップにしたかった。

人間がそれを使った経験をしたかった。
だからそうなった。
そして、人間はその経験ができるようになれた。

と、周りのもの全てがその思いを持っていて、
なおかつ、無条件の愛でそう思っているので、
人間の役に立てて、良かったとか、嬉しいではなく、
ただ、ニコニコ微笑んでそう思っているのを感じました。

その思いの全てが胸に入ってきました。

今まで私の周りにあった、どうでもよかったただの物の、
無条件に自らの命を捧げ、私達を支えるその圧倒的な数々の、
繊細な優しい思いに胸を打たれました。

そして、その全てに、
ありがとう、ありがとう
と言っている自分がいるのです。

昨年3月末のプチ悟りの時は、
この世は繊細な愛に包まれている優しい世界だと感じて、
その無条件の愛のエネルギーのあまりの高さに衝撃を受けましたが、
(→記事『悟りのしっぽ』をご参照ください)

今回の物質のもつ繊維単位の思いには、
ただただ、ありがとうという言葉しか出てこないんです。
しかも、私が誰かに感謝を述べる「ありがとう」とはまた違う種類の
ありがとうなんですよね。

うーん。言葉で説明するのが難しいのですが、
自分の脳で作られた「ありがとう」ではないというか・・・。
どこらかこの「ありがとう」が出てくるんだろう?って、
トイレットペーパーを握り閉めて泣いている自分を静観している別の自分がいるのです。

もしかしたら、この「ありがとう」は、
以前ポコプンの言っていた、

「未来の光の地球では(エゴ的にではなく)、
全員が自分の事が大好きです。
全員が満たされている状態なので、
『ありがとう』という言葉も、心から言えるのです」


(→記事『人のために一番役に立つこと』をご参照ください)

の、「ありがとう」なのかな?と思ったり・・・。

それから、学校や祖父母や両親から、

「お米を作ってくれたお百姓さんや、
野菜を作ってくれた農家の方、
魚を捕ってくれた漁師のみなさんに感謝して、
そして、自分たちの栄養となってくれる命に感謝して、
いただきますと言いましょう」

と、教えられたのですが、

お百姓さんや農家、漁師さんへの感謝の前に、
食べ物を必要としている私や、
そしてそれを栽培して届けてくれるお百姓さんや農家の方の、
人間の思いを叶えるため、
人の手に摘まれて、無条件に命を捧げている、
米や野菜や魚の思いへの感謝なんだなぁとも思ったのです。

でも、この気づき、まだ100%ではないと思います。
というのも、またプチ悟り状態になって号泣して、
地下鉄でも泣きながら、涙で顔を腫らしての出社というのは避けたいので、
胸から意識をぐーっと逸らして、頭で物事を見るように努力しています。

が、ちょっとでも胸に意識を持ってくると、

『 ヾ(*´∀`*)ノ ワーイ♡ 』

って感じで、愛がドドドドドーッと押し寄せてくるんです。
この愛のアピールが日増しに増えて来ていて、
もうすぐ私の作る左脳の壁を決壊しそうな勢いです。

どうか、退職するまでこの壁が持ち堪えますように、
祈るばかりです。

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Posted by 八多 恵子(ハタ エコ) on  | 5 comments  0 trackback

5 Comments

もちもち says..."こんばんは~!"
おおおお!(●゜∀゜●)

繊維の一本にも愛があるなんて!

やんちゃな人間(やんちゃ通り越している気もしますが…)を見守ってくれていたのですなあ。

想いや声は聞こえませんが思わず周りの物を見渡してしまいました。

ノンモさんもそうですが八多さんの文章も心に響くものがありますよね。

うるっと来てしまいました。

ありがとうございます。
2016.02.10 22:49 | URL | #- [edit]
says..."管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016.02.11 14:17 | | # [edit]
みぃ says..."そこまで…"
思い至らなかったです。
繊維一本一本にまで思いがあり人間を受け入れてくれてたんですね。
何にも考えずフツーに使って申し訳なくなりました。
落としたり、ぶつかった時には思わず「ごめん」と謝りますが💧
常に感謝したいと思いました。
2016.02.12 13:10 | URL | #- [edit]
mumi says...""
なんかもう、やってもらっていることへの感謝とか食料となってくれていることへの感謝とか、そんな限定された感謝なんかがおこがましいんでしょうね。
ただただ、「ありがとう」。
って、その感覚が想像の域を出ない自分が残念でもどかしいです。
でも、希望が先にあって嬉しい。
2016.02.14 17:14 | URL | #- [edit]
もちもち says..."すみません、もう一度コメントを書かせて下さい"
最近やっと!もしかしたらそうなんじゃないかな?という気付きが起こりました(喜)

動植物達が、お互いを食べ合うのが疑問で仕方がありませんでした。
サバイバル?というのでしょうか、例えば狩りを見ていて獰猛だ野生だ、と考えてしまうんです。
でも、神様だから、そういう言葉で片付くようなものでもない、という矛盾した想いもありました。

結論から申しますと、奪い合っているのでは無く『与え合っている』と気が付いたんです。
それがわかった瞬間、本当に本当に嬉しくて、なんて大きな愛なんだろうと。動植物達が人間を迎え入れたくれた優しさをかみしめました。
と同時に私はどれほど自分勝手で利己的だったんだろうと痛感しました。(ポコプンさん的に言うとこれが人間視点でしょうか)

八多さん程ではありませんが、上でおっしゃっていた、
『今この瞬間、誰もがすでに、
光あふれる高次の地球に住んでいる!』
という言葉の意味がほんの少し(本当にほんの少しのちょびっとですよ!が)わかった気がしました、そういった愛に囲まれていたんだ!と。そう感じると生きて行くのが少し楽になった気がしました。

ですが書くと自信が無くなります^^;時間が経ち感動や心の想いが薄れてしまって、その時あった確証が無いので。勘違いだったらどうしようという不安もあります。
頭で考えて理解するのと、心で感じて理解する違いが段々わかってきた気がします、感覚的なものなのでこれも説明が難しいです。うーん不思議ポコ。
2017.04.27 01:34 | URL | #- [edit]

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