癒守の地球

~いますべてが生まれ変わるとき。シリウス意識の光の地球へ~

Uさんの『何かや誰かのせいにしてたけど、 自分の心理的な問題だったのかも?』

みなさんから提出して頂いた、8月のラッキー☆神式の作文には、
いじめや虐待にあい、傷ついて苦しんだ子供時代と、
その経験から大人になっても上手く生きられないことなどが真摯に書かれてあって、
涙を流しながら作文を書きましたと、
送られてきた多くのメールに書かれてあったんですよと、
幼いころに親から虐待を受けていたクライアントさんに話したところ、

「本当に!?こんな辛い目にあっていたのは私だけじゃなかったんですか!?」
と、目を潤ませて安堵されているのを見て、
できれば、一部の作文をブログでシェアさせて頂きたいなと思いました。

(作文については→『8月のラッキー☆神式(その1)です♪』
をご参照ください)


誰かの辛い経験は、他の誰かの気づきや、
私だけではなかったという大きな安堵や勇気につながると思えたからです。

ご提出いただいた、数々の作文の中でも、
これまでお会いしたクライアントさんのお悩みに近いものを、
独断で選ばせていただき、承諾をいただいてから、
掲載させていただいております。

     *******

『私の経験がどなたかの気づきや安堵、勇気につながるのであれば、
これほど幸せなことはないです。
どうぞ、この拙い文章をシェアしていただけますか?』


と掲載の快諾を下さったUさんの、

「今まで『何か』や『誰か』のせいにしてたけど、
よくよく考えたら自分の心理的な問題だったのかも?」

の作文です。



 まず最初に、私は幼い頃から母親に「誰かに何か嫌なことを言われたり、されたりしても、その人のことを恨んだり悪く思うことはやめなさい。まずは自分がその人からそうされる原因があるのだということを考えて、心の中でいいから謝罪して、気づかせてくれて有難うと感謝しなさいね。」と、耳を酸っぱく、否、口(笑)を酸っぱくして言われていた。自分に原因があるというのは、自分が気づかないところで相手を傷つけ、前世で逆に自分が相手にしていたかもしれないと思うことだ。その当時、母から聞かされていたことに対して、何の疑問も持たずに過ごしていたため、嫌なことがあっても、自分に原因があるのかもしれないと、上記の方法で過ごしていた。このように平穏な日々がずっと続くと思っていた小学校高学年位から、少しずつ変化していくのだが。。。


 私には姉と兄がいる。姉は九歳、兄とは七歳年が離れており、とにかくこの二人は問題児だった。私は小さいながらも両親から怒られている姉兄を見ながら、『この二人は、どうしていつもわざわざ怒られると分かる事をするのだろうか?』と、よく思っていた。自分のことながら、とても冷めた妹だ(苦笑)。特に兄は、ある時期からシンナーに填ってしまい、よく警察のお世話になっていた。初めは興味本位だったのかもしれないが、やがてそれは身体・精神を蝕んで、手がつけられない程になってしまった。


 私が十一歳の時、父が脳内出血で倒れ、一年半病院で寝たきりの状態だったのだが、お見舞いにも来ず、遂には父が他界して葬儀の間も、兄はシンナーを吸ってボロボロの状態だった。実家は自営業だったが、父が他界し母一人では営業不可だったため、廃業し家も引っ越した。私は中学入学同時に転校、母が保険の営業をし、経済的にゆとりはあったが、母が一人頑張っている時に兄の情けない姿。私はそんな兄が許せず、家から出て行け!と、よく怒鳴っていた。次にシンナーを吸ったら、家族と縁を切って家を出るという一言を紙に書いて印鑑を押させるということもした。中学生の私は、そんなことを迷いもなくしてしまう程、兄に対して冷酷だった。


兄は所構わずシンナーを吸い、時にはご近所さんにも発見され、母は頭を下げることが多かった。近所に同級生も住んでいたため、学校で噂になったらどうしようと、私はビクビクしながら過ごしていた。当時転校して間もない私は、友人に相談して嫌われるのが怖い思いから、誰にも言えずに過ごした。この日々は本当に地獄のようだったが、その反面、学校にいる間は友達と過ごす時間が楽しく、部活にも励んでいた。そんな日々が続いたある日、大家さんから遂に退去命令が下された。4月に転入し、ようやく新しい学校にも慣れ、友達も出来た7月。僅か3か月で、またもや引っ越しの為転校となったのである。私は兄が憎くて憎くて許せなかった。


だが、どんなに罵声を浴びせても、涙ながらにシンナーを止めるよう懇願しても、兄の心には一切届かなかった。心をなくした人形のような顔をした兄。私の、そして家族の平穏を奪った兄に対して、憎悪で私の心は闇に支配されるようになった。この時、私は一人ぼっちで、どうして私ばかり辛い思いをしなければならないのかと、悲劇のヒロインかのように思っていた。そして、あの頃の私は、今度生まれ変わるなら一人っ子が良いと思うようになった。母に「私は一人っ子が良かった。」と言うと、「今はそう思うかもしれないけれど、きっと姉兄が居て良かったと思う日が来るから。」と、よく言われていた。だが、そんな日は絶対に来ないし、来なくて良いとさえ思っていた。


 そんな私だったが、決して自棄を起こすことはなかった。これ以上母を苦しめたくはないという思いから、私だけはまともに生きていこうと誓ったのだ。とにかく私は兄のように弱い心に負けず、強い心でいなければならないと、自分を奮い立たせていた。思えば、私は兄を見下していたのだ。いつしか、強くありたいという思いと重なって、他人に対して知らず知らずの内に壁を作っていた。


 そんな冷酷な顔を持つ私にも、親友が出来た。転校先で出会った親友Sちゃんだ。彼女とは中学時代同じクラスになった事は一度もないのだが、とにかく気が合い、悩み事も打ち明けられた。前の学校では嫌われる事に脅えて相談すらしようとしなかったのだが、Sちゃんは親身になって聞いてくれて、私を受け入れてくれたのだ。Sちゃんも、私に家族の事をよく話してくれた。時には涙し、時には笑い、二人で過ごす時間は、私にとっての癒しだった。こんな風に私から心を開けば、前の学校でも話を聞いてくれる友達は居たかもしれないと思った。友達が私の事を嫌うかもしれないと、ただただ脅えて、大事な友達の事すら信じていなかったのだと分かった。その事に気付かせてくれたSちゃんに、とても感謝している。彼女は現在結婚して立派な二児の母であり、今でも私の親友だ。


 私が中学二年の時、遂に兄は少年刑務所へ入った。期間は半年だったが、その後も精神的な治療の為、病院での生活をしばらくしていた。この期間、シンナー中毒の兄を見ずに済むことがとても嬉しく、平穏な日常が取り戻せたと思っていた。これで兄も必ず更生して戻って来ると、信じて疑わなかった。


 その年の十月、私は叔母になった。姉が出産し、甥が出来たのだ。実家に戻って来た姉と甥、とにかく小さな甥が可愛くて仕方なく、私は進んで甥の世話をしていた。そもそも私は子供に対して苦手意識があったのだが、こんなに愛しい存在がこの世にあったのだろうか?と、甥と過ごす日々が楽しくて、夜泣きする甥を抱っこしてあやしたりしていた。姉はシングルマザーで、妊娠していたことすら母に内緒で出産したため、私は突然叔母になったのだが、姉の強さはまた桁違いだなと、今でも思う。


 姉が実家に戻って来て、一生感謝しても仕切れない事がある。ある日の食事中、姉が私の手を見て、「箸を持つ手が微妙に震えてる。病院に行ったほうがいいよ!」と言ったのである。私の家系は、代々甲状腺の病気を患っており、父と姉も手術をしていた。健康上今まで何の問題もなく育ってきた私だったので、それはないだろうと思っていたが、念の為甲状腺の専門病院へ精密検査に行った。医師は私を見た瞬間、「病気ではないことを証明しますからね。」と言ったのだが、検査結果が出た次の日、「すみませんね、初期ですが甲状腺の病気です。この状態で気付けることはまずないのだけど、お姉さんのお陰だね。感謝しないといけないね。」と言った。発見が早かった為、私は手術をせずに服薬治療で済んだ。


 とは言っても、一時的に病気の症状が悪化することもあり、私の中学二、三年時は、学校を休みがちになっていた。それでも、何とか高校は希望の学校へ受かることが出来た。私の意地でもあった為、本当に頑張ったと思える。


 そして、高校へ入学し、病気が治まっていた私は部活にも入った。この高校で私は後の親友となるEと奇跡の再会を果たす。奇跡というと大げさかもしれないが、私が地獄の日々を送っていた最初の中学で出会っていた人物だった。彼女とはクラスは別だったが、体育の授業が同じで、一言だけ交わしたことがあったのだ。Eも私のことをうっすらだが覚えており、高校で出席番号も隣同志、席も前と後ろ同志で、すぐに意気投合した。


 そんな折、兄が更生期間を経て我が家に戻って来た。もう大丈夫だと思っていた私は、これで元通りになると確信していた。
 しかし、私の期待も虚しく、またシンナーの誘惑に兄が負けるのに、時間は然程かからなかった。もう、この人はどうしようもないのだ、弱くてだらしない人間なのだと、憎しみから、呆れへと変化していった。また捕まって、一生出てこなければ良いのにとも思った。兄さえいなければ、私はもっと幸せだったのにと。この時は全て兄のせいにして、兄の気持ちを考えたりする余裕は一切無かったのだ。救う手立ては無いと諦めかけたその時、突然状況が一変した。


 兄の奥さんでもある、当時の彼女の一言、「シンナーを止めなければ、子供を堕して別れる。」というものである。今まで止められなかったのが嘘のように、兄は泣いて彼女へ懺悔し、もう二度とシンナーに手を出さないと誓ったのだ。それ程までに、兄は彼女のことを愛し、必要としていたのだと、私は衝撃を受けた。
 それからというもの、兄は真面目に働き、結婚し、後に男の子と女の子の父親になった。時にフラッシュバックに悩まされ、軽鬱にもなったが、また仕事に復帰し、今も毎日汗をかいて家族を養っている。


 私は、義姉のおかげで兄は気づき、そして私も気づかされたのだと知った。人を愛する力は偉大なのだ、そしてきっと義姉は兄の心に寄り添い、ずっと見守ってくれていたのだと思う。当時の兄に対して冷酷な態度だった私は、兄を思う気持ちが足らなかった。思い起こせば、兄がシンナー中毒になった時期は、父が倒れてからなのだ。きっと兄の中での葛藤があり、やりきれなかったのだろう。高校卒業後に進学したい気持ちもあったようだが、家計の事を考えて母に言い出せなかったと、後から聞いた私は、兄の優しさを忘れていた。


元々ひょうきんで明るく、友達も多かった兄。よく兄の友人達が家に遊びに来ていたのだが、私もその場に一緒にいる事が多かった。兄の友人達は、所謂“ヤンキー”だったが、皆とても優しく、私が一緒にいても嫌な顔一つせず話し相手になってくれていた。そんな優しい兄だから、心が病んでしまい、現実から逃げたかったのかもしれない。シンナー中毒に陥っていた時も、兄は決して暴力を振るうことはなかった。引っ越す時にご近所へ母が挨拶に行った時も、「息子さん、いつも挨拶きちんとしてくれて、とっても礼儀正しいのに。確かにシンナーは悪いことだけど、私達家族は全然怖くないし、引っ越しなんてしなくてもいいと思っているのよ。」と、多くの方が言ってくれたそうだ。大家さんの娘さんも、私のことをとても気にかけてくれて、退去命令を撤回するよう掛け合ってくれたそうだ。ただ、大家さんの事情もあるし、これ以上は迷惑をかけられないと母は思い、決断したのだ。


 今思えば、沢山の人が見守ってくれていた。私はこの世に一人ぼっちだと思い込んでいたのだが、いつも側には母や祖母がいてくれたし、中学・高校での親友に兄のことを話せたことで、救われた。私は決して、一人ではなかったのだ。兄のせいだと思い込んでいたあの頃も、もっと兄の心に寄り添えていたらと、今では兄に対して“ごめんなさい”と思っている。私は兄のことが大好きだったからこそ、許せなかったのだと思う。そして、心の強さを押し付けていた。人それぞれ皆違うのに。。。


私の思い込みは、全て間違いだったのだ。もっと兄に向き合っていたら、私から歩み寄っていたなら、と思う。だが、人生に“たら”“れば”はない。きっと、あの頃の私は精一杯だったのだと、受け入れようと思った。


 姉兄なんていらないと突っぱねていたが、子供嫌いだった私に、かけがえのない存在、愛しくてたまらないと思わせてくれた甥を産んでくれ、病気に一早く気づいてくれた姉、そして、ひょうきんで優しい兄。この二人がいたからこそ、私は色々なことに気づき、一人っ子では味わえない人生を経験出来た。全ては、思いやり寄り添う心、そして、受け入れ赦すという事だ。皆同じ人は居ない、私はAだと思う事について、他人はBだと思う事もある、という様に、物事を俯瞰して見られる様にもなった。今では、この壮絶だと思っていた数年間も、笑って話せる様になった。「あの頃は大変だったよね。」と、懐かしむ様になるなんて、思ってもみなかった。私に多大なる気づきを与えてくれた姉兄が居て良かったと、心から思う今日この頃である。


 余談だが、父の闘病生活と兄のことをきっかけに、人を癒せることが私にできたらと考え、音楽療法士を目指すきっかけになった。九月から勉強が始まるのだが、今介護職に就いているのもあり、認知症の症状緩和へも活かしたいと思っている。
 最後に、たとえ何があっても「明日は明日の風が吹く。」と、前向きでパワフルで、いつも背中を押してくれる母が居てくれることが、私の人生で最大の幸福だと思う。



Uさん、本当にありがとうございました。

Uさんの経験が、
どなたかの気づきや安堵、勇気につながりますように。

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Category : 心理
Posted by 八多 恵子(ハタ エコ) on  | 3 comments  0 trackback

3 Comments

もちもち says..."こんにちは!"
このところ、もやもやしょんぼりする事が多かったのですが、作文を読ませて頂き勇気づけられました。

葛藤が多いなか、決して自暴自棄にならず、Uさんの逞しさから勇気を分けてもらいました。

Uさん、本当にありがとうございます。

人を癒す音楽療法士という夢、とても素敵だと思います。

陰ながら応援しています。
2016.10.20 16:33 | URL | #- [edit]
きく says..."電車内で"
読み、涙がこみ上げてきて、あたふたしました。そして、心が洗われました。それぞれの試練を乗り越えられてきた方々は、みんな美しいです。シェアしてくださってありがとうございました。Uさん、どうかもっともっと幸せになってくださいね。

ところで、以前aboo@ブログで、「・・・なので、未来につながる現在のみなさんが、光のレベルを上げていく事が、とても大切です。神だのみではなく、個人の努力が必要です」、「ひとりが放つ光は、1万人分(もしくはそれ以上)に匹敵します。自分の周りの人たちが、光につながっていないと嘆く時間があれば、その人たちの分まで、自身が光につながり続けること。」「上層部のアセンション計画(追記です)2013.01.29を思い出しました。光の地球計画、ダイナミックに動いていますね。
2016.10.20 21:20 | URL | #- [edit]
ほーちゃん says..."ありがとう"
ここ最近、主人との関係が悪化していたのは、わたしが被害者意識になればなるほどに、相手も暴力的になっていったのだ、と気がつきました。
現実を受け止めきれなくて。
主人が罵るから、やりたいことも出来なくて、と、主人を、とことん悪者にしたかったのかなと。
自分の闇は、主人といるようになり、認めるようになれたし、、

今、辛い状況を経験しているからこそ、来月から介護の仕事を始めることを決意できたわけだし。気持ちを切り換えて感謝して歩めそうです。uさんの強さには綺麗な光がありますね。
その強さがあるからこそ、人を癒していく音楽をみつけていけると思います^ ^このタイミングで、このお話を頂けたこと、とっても感謝します。


2016.10.21 21:59 | URL | #- [edit]

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